「ちょ、ちょっとナル……国籍って……」
そうそう、綾子の言う通りだ。
一体なんの話だったのさ!?
「馬鹿が勝手に騒ぎ立てていただけだ」
そう言い、ナルはまた所長室に戻って行った。
その様子をリンさんが苦笑しながら見送る。
「どうやらまどかに大きな借りができてしまったようですね」
「まどかさん??」
森まどかさんはナルの師匠で、今はイギリスにいるんじゃ……?
「まぁ落ち着け。ナル坊の親が日本人なのは知ってるだろ?」
どうやらぼーさんはやっぱり何か事情を知っているらしい。
「うん。でも生まれたのはアメリカでしょ?」
「そう。そしてデイヴィス養父母に引き取られて育ったのはイギリス。
で、前に国籍はイギリスと言ったな。さて、ここで問題だ。ナル坊は何人?」
ふぇ??
「えーっと……お母さんが日本人なら日本人だし……でもアメリカで生まれてるし……イギリスで育ったし……??」
「日本人でありアメリカ人でありイギリス人、ということになりますね」
おおお、さすが国際人。私と綾子が困惑してる間にジョンが即座に答える。
ぼーさんも満足気にうなずく。
「そう。日本人の親がいるなら、日本国籍を与えられる。
一方、アメリカはアメリカで生まれさえすれば何人の子供でもアメリカ国籍を与えられる。ただし二十歳で一度転機がある」
「てんき??」
「俺もきちんとしたことは知らないけどな。日本と他の国で国籍があったとしても、二十歳までは問題ない。だが二十歳になったら二年以内に日本国籍をとるか、他の国籍をとるか選ばなきゃならない……んだったよな?」
ぼーさんが首だけ振り返り、リンさんを見る。
「ええ。特に申請書を出さなければそのままアメリカ国籍とイギリス国籍はお流れということになり、ナルは日本国籍を持つことになります」
「んで、次にイギリスだ。これも確かなことは知らないが、イギリスで国籍を得るためには何年間か決められた年数をイギリスで過ごし、ついでにイギリス女王に忠誠を誓ったり、とまたややこしい書類審査がある。でもまぁ、ナル坊ならお偉方の憶えもめでたいだろうし、年数については問題ないだろう。養父母は生粋のイギリス人だ。取得は楽だろ。すでに持ってる訳だし」
「えーっと……んで、何が問題なの? 別にナルが外国人に見えない外国人だってことは前々から……」
「問題は見た目じゃない。そこでさっきのヒステリー女が出て来る訳だ……ろ?」
ぼーさんがまたリンさんに話を振る。ぼーさんの隣に座ると、リンさんは少し困ったように苦笑した。
「先日イギリスのとある大学の学長が亡くなりまして。ナルもお世話になった方ですし、本来なら葬式に出席するべきなんですが、その頃別の依頼が入ってましてどうしても日程が合わなかったんです。仕方がないのでナルが欠席の旨を伝えたところ、どうもその意味を輪曲して捕らえた者もいたようで」
「つまり、学長一派に対して一種の反乱を企ててるんじゃないかってことだよな」
「もっと詳しく言えば学長の座を狙っているのではないか。その宣戦布告として葬式を欠席したのではないか、ということですね。イギリスは昔から階級を重んじる輩がまだ大勢残っています。若造のぽっと出のナルに大学を任せるのは何としてでも食い止めたい。しかし、ナルにはその技量がある。そのうえ成人して永久にイギリス国籍を取得されてしまったら、由緒あるイギリス貴族と結婚されてしまったら、もう手の打ち用がない。あと一年もすればナルは成人します。もうあまり時間がない。
という風に都合悪く解釈した学長一派の代表として、ミズウェンリが来日した訳です。どの国籍をとるか、ナルに決めさせるために」
……なんか……スケールが大きいんだか小さいんだか……。
「確かに学長になれば今まで以上に知識が得られるでしょう。権限も増えます。ただ、今のように日本で支部を開いてフィールドワークに出る、といった勝手な行動は制限される。
何より、国籍の決定によりビザの問題もあります」
「びざ?」
「海外に滞在する場合の許可証みたいなものですわ。もちろん、国籍のある国にはビザは必要ないですもの」
……にゃろう。真砂子ってば海外旅行したことがあるからって偉そうに!
「その通りです。SPRで仕事をしている、ということになればワーキングビザが発行されます。当面の滞在は許可されます。そこでSPRの仕事ができなくなれば、長期滞在理由がなくなります。調査といっても後ろ楯がなければ単なる観光と同じ、短期滞在しか許可されません」
「となると、SPRの今の状態を保ちつつなおかつビザの問題をうまくくぐり抜ける為には……」
「今の状態を保つのなら日本国籍を捨ててイギリス国籍を保つことが一番手っ取り早いでしょうね。SPR日本支部があれば日本に長期滞在するのは難しいことではありません。
ただナルはあれでも頑固で意固地で見栄っ張りで知識に関してだけはどん欲ですから、アメリカという国に対していろいろと許し難い思いをしたんでしょう。自分の中には生粋の日本人の血が流れている。けれども、アメリカは単にそこで生まれただけにすぎませんから、国籍がなくなればその国に自分の居場所がなくなる」
なんか、今日のリンさんはやけに強気だ……。
そういえばナルは八つまでアメリカにいたっていうし……孤児院に預けられてて、酷かった、っていうから……あのナルが酷かったっていうならよっぽど酷かったのか……それとも単にナルの生活が災いしたのか……うーん。
「いろいろと欲張って迷って先延ばしにしているから、情報が混乱してあんな迷惑女が来日したりするのです。
おかげでまどかにも心配をかけたようですし」
「そうそう、なんでまどかさんが?」
私が訊ねると、リンさんは少しだけ表情をやわらげた。
「事情を聞き付けたまどかがミズウェンリに掛け合ったんでしょう、何日か待てと。その間にまどかはナルが頭を切り替えるよう、仕事を叩き付けたんでしょうね。おそらく来鈴さんの家にかかってきた電話はまどかがかけたものでしょう。
結局は、現状維持に落ち着いた訳ですが」
「…………………………」
まどかさん、最・強。
さすがナルの師匠なだけあるわ……うんうん。
「まあでも、そんだけじゃねぇだろうなぁ……」
ほくそ笑むぼーさん。
「ですね」
苦笑するリンさん。
「よかったですね」
にぱっと笑うジョン。
「なぁーんだ、そういうこと……」
呆れる綾子。
「私はまだ認めてませんわ」
ちろっと睨む真砂子。
「やぁ、春は近いですねぇ」
軽やかに笑う安原さん。
…………へ?
なんでみんなそんな目で私のことを見るの??
なに、そのジト目は!?
と、反論しようとした時。がちゃり、と所長室が開く。
「麻衣、お茶」
「はいはいはいはいっ!」
もーっ何なんだみんな!
あっつーい緑茶を入れてやるっ。
ポットから急須にお湯を入れて、湯飲みに流し込む。……なんで一回目は捨てちゃうかな、私……や、こうすると湯飲みが暖かくなって、馴染んだお茶が入るからって……お母さんに叩き込まれたから……なんでおナルに対してこんなに甲斐甲斐しいかな、私も!
「はい、お茶ですとも、所長!」
ノックなしで開けてやる。
相変わらず所長室は書籍で溢れ帰っていて、ナルの机の上は何やら英語の書物が置かれていた。ぐぅっ、嫌味か。どーせ私は英語苦手だよ!
「そこに置いてくれ」
「はーいつ」
どうせ味わってなんかいないんだろうけど。
湯飲みを手にとり、ナルは視線をあくまでも本に向けながらお茶をすすった。
「………………」
「………………」
お互い黙る。
なんか、気まずくて。
だって……ナルがイギリス国籍をとるってことは……ってことは……
「ねえ……ほんとは、アメリカに帰りたかった?」
だって……その国は、ナルの本当の両親とジーンと仲良く四人で唯一暮らせた国だったんだよね……。
「そうだな……いつか仕返しをしてやろうと思っていた」
天の邪鬼! いま自分がどんな顔をしてるか全然わかってないんだ、絶対。
すごく、切ない顔をしてるのに……。
「良い事ばかりあった訳じゃない。むしろマイナスの要素が強かった。
それでも、『帰る』と言ってしまう。それだけだ……」
なんで、この場にジーンがいないんだろう。
すごくそれが不自然に思えてならない。
だって、私じゃ……私じゃやっぱり適わないんだよ、ジーン……!
「……ついに涙腺が壊れたか?」
「へっ?」
いつの間に、なんで、私はまた泣いちゃうんだろう。
みっともない。なんか悔しい。ナルの前で泣くなんて。
でも、いくら目をこすっても止まってくれない。
「目が赤くなる」
手を掴まれて、私はびっくりしてナルを見た。
「……行かない?」
「ああ」
「置いてかない?」
「ああ」
「私も置いてかない、から……」
ひとりにしないよ、頑張るよ……ね、ジーン。
「……………」
「春がきてもよろしくね」
驚いたナルを見るのは、なんだかおかしくて。
笑ってあげたら照れたのか、顔を隠すように抱きしめられた。
あとがき:
ヤバい……眠い……今何時だろう……見たくない(自爆)。
お待たせにお待たせしたゴーストハント調査もの長編。
お届けいたします。少しでもストーリーものっぽく仕上がっていてくれれば幸いです。
もうちょっと中身をこくするにはもっともっと知識が必要だと思いやられました。
あ、ちなみに国籍云々は一応調べた結果ですがいまいち自信がないので信用しないでください(爆)。
長々と語るとあれなのですが、ヨーロッパのいくつかの国では多重国籍を認めています。イギリスのそのうちの一つです。けど、日本はどうやら一つしか国籍を取得しちゃいけないらしいですね。ただそれも85年以前に生まれた人に関しては曖昧な記述が多いようです。作中のナルならおそらくそれより前の生まれだと思うので、法律的に考えてみれば日本とアメリカとイギリス、三つの国籍を持つ事は可能でもあるみたいです。アメリカの法律の中に多重国籍のきちんとした規定はないようですし。まぁでもそれだと面白くないので(マテヤコラ)、選ばせてみました(自爆)。友人の話によれば二十歳を過ぎても請求書がきたり、ということはないようですがね。
ナル麻衣も好きですが、キャラ全員が好きです。中でもぼーさんとリンさんの贔屓っぷりはもう明らかでしょう(笑)。年上コンビが好きなのです〜! 大人キャラ万歳! すうげえ季節違いですが九月設定のお話なので、実はナルとジーンの誕生日祝いでもあります(笑)。
心をこめて書きました。
心に残る読み物であれば嬉しいです。
んでわ。
ユツバ浩
2月19日2004年 早朝(笑)
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