ありえないことだとは思ってなかった。
だって、ナルはあくまでも双子のお兄さんを探していて、その双子のお兄さんを発見するためだけに日本にやってきた。その双子のお兄さんは、ジーンはもう見つかったわけだけど、日本支部は残された。
ナルは、まだ日本にいる。
日本の心霊現象が面白いから、といって。
いつまでも――いつまでも一緒にいられるわけじゃないけれど、とても嬉しかった。
ナルといられて、嬉しかった。
●始まり●
「谷山ー」
先生の声に私はがばっと起き上がった。
「今は数学の時間だぞ」
「んげげっ」
周りがクスクスと笑い出す。うわっちゃー、現文の教科書を思いっきり広げてましたよ、わたしゃ。隣の席に座ってるなら教えてくれたっていいのに、友人よ! 何はともあれ私はスイマセン、と謝って席に座った。
ちょうどその時に授業終了のチャイムが鳴った。むぅ、まるまる一時間寝てしまったらしい。昨日あんまり寝られなかったからかなぁ……。
「谷山」
数学の先生っ。
「うっはいっ、すいません、居眠りしてて……」
なんせ私の席は窓際だから暖かいのだ。9月ってことでだいぶ残暑が厳しいけど、でも昼寝にはもってこいなのだ。
「まぁ、反省してるならそれでいい。
だがそれだけじゃなくてな。お前まだ進路調査出してないだろう」
「はうあっ」
それですか。それに来ましたよ、旦那。
「期限日は先週だぞ。そんなに悩むことがあれば、相談にのるが……」
数学の先生は基本的にいい人だ。私が苦学生していることも知ってるし、だいぶ親身になってくれてる。
「えーと……」
悩むというか、なんというか。
現在私は天涯孤独の身ながら自活している。SPRという心霊事務所でバイトしていて、そこの給料がなかなかいいのだ。学費はその給料から払えるし、自分ひとりを養うくらいならそれでまかなえる。
大学、にいってまでやりたいこと、っていうのはまだ私にはないと思う。それを探しにいく、っていう人もいるけど、さすがにそこまで贅沢な理由で大学にいくお金の余裕はない。頭はみそっかすだから奨学金なんてものもアテにできないしね。
就職、するとなると……………ナルのところ、なんだろうけど。
それもなんだか、こう、――シャクじゃないか?! と私は意地になっちゃってるのだ。ええ、自分でもわかってるけど。意地になってるのよ、私は!
「すいません、早めに出します」
それとなくかわして、私は教室を出て行った。
少々憂鬱気分ながら、渋谷の道玄坂にたどり着く。通いなれたSPRの事務所。
「おはようございまーす」
午後だけどとりあえずこれは気分だ。気分でいついかなる時も出勤するときは、これだ。相変わらずうんともすんとも返しがないわけだけど。
ガチャ、と奥の部屋の扉が開く。
「麻衣、お茶」
……前言撤回。こいつは私がくる度にこの台詞を開口第一番に言う。
「はいはーい!」
ポットのお湯を確かめて、お茶っぱの残量を確かめる。おりょりょ、だいぶ残りが少ないな。まぁ、後で買い出しにいくか。
別に日本茶にナルはこだわらないが、紅茶よりは緑茶の方が嫌がらせっぽいだしょ……うふふ。
どぽぽ、とナル専用の湯飲みにお茶を入れて、おぼんにのせる。軽いノックをしてから所長室に入る。
「はい、お茶でーす」
「そこに置いてくれ」
「はいはい」
もちろん感謝の言葉なんて求めてないけどね! 顔もあげずにナルは書類を見るまま私に言う。最近はほぼ毎日これの繰り返しだ。……特に不満があるわけでもないけどさー……少しは他にリアクションが欲しいよ〜。
「お邪魔するぞーっ」
明るい声がする。これはぼーさんだっ!
「ぼーさん!」
所長室を私だけが出て行く。ナルはもちろんぼーさんを歓迎する気なんてないんだろうけどさ。
「おう、嬢ちゃん。相変わらずだな。元気にやってっか?」
「うん、元気にやってるよ。何? なんか用?」
「うーん、まぁなあ。とりあえず喉がかわいちまったなぁ」
このたかりやぼーずめ……!
「日本茶のあっつーいの入れてあげる」
「うぐっ……」
ウケケ、何やらショックを受けている。そりゃそうだ、この中は冷房が効いてるけど、外はまだだいぶ暑い。
「もう9月だってのになぁ……まだ暑いよなぁ」
「そーだねぇ……」
窓の外はのお天道様はまだ元気そうだ。
もう9月、かぁ……あと半年しかないんだな……。
「嬢ちゃん? なんだ、たそがれちまって。秋は嫌いか?」
「んーん……別にそんなんじゃ……ないけどさぁ。そうなのかなぁ……私、秋が嫌いなのかなぁ……」
お茶を台の上に置く。ほんのりと湯気が立ちこめるそれに、ぼーさんは心底嫌そうな顔をした。それから、気を取り直したように私を見る。
「なんだ、しけた顔して。悩み事があるならオニーサンが相談にのってやるぞ?」
「オニーサンって厚かましいと思わない?」
「イタッ!」
切り返しにぼーさんがとぼけたリアクションをする。あはは、と私も少し笑ってからまた黙る。
「んー……春には卒業だな、と思って」
「そーかー……学生だもんなぁ、そりゃあ卒業するよな……。俺ら社会人になると卒業式とか入学式とか全然関係ないからなぁ……」
そうか、とぼーさんはうなずく。
「嬢ちゃんも今年はちゃっかり高三だったっけ」
「ちゃっかり、っていうか……」
当たり前のことなんだけど。まぁ、高校で留年するわけにもいかないし。一応出席日数は補修してもらったし。
「で、どーすんだ? 大学とかいくんだったら安原少年が面倒みてくれんだろ」
安原さんは国立の大学に通っている。ものすごおく頭がいい。はい、そりゃあ、私なんかと違ってめちゃくちゃ頭がいいですよ。最近は大学の方も忙しいらしくSPRにはなかなか来てくれないけど。
ちなみに俺に聞くなよ、とぼーさんは言った。
「うーん……別に、大学に行きたいわけじゃないから……就職、すると思うんだけど」
私の意図をつかみ取ったのか、ぼーさんがニヒルな笑いをみせた。
「別にナル坊は駄目だとか言ってるわけじゃないだろう?」
「う、ま、そうだけどさ……」
そうなのだ。就職するとなれば、そりゃあもう、第一希望はこのSPRなわけで。今はバイトの身で調査員だけど、できればずっとここで働いて行きたいとは思う。ここでしか得られないものはたくさんある。そりゃ、お給料もすごくよくて美味しいけど、そういうのだけじゃなくて。もっともっと、たくさん大切なこと。
でもそれもなんだかシャクなのだ。前にもいったけど、少し意地になってるのだ。
ナルは孤児だった。私と同じ孤児だったから、同病相哀れむってことで私を雇っていた。もちろん、私もいろいろとその中で能力を開花させたりしてちょっとは役に立ったと思うけどさ……結局は、ナルの同情だったわけだ。
今は高校生だからバイトだ。
だけど、……卒業して、正社員ってことになれば……へたすりゃ一生ナルに面倒みてもらう形になる。
……そりゃ、永久就職を狙っていないとはいいませんけどね、ええ!! でも、そういうんじゃない。このままズルズルとナルに世話になっていいのかどうか、正直いって私はよくわからない。
と、いうよりも何となくシャクだ。シャクなんだ!
ってなことを長々と説明してみたら、ぼーさんは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「嬢ちゃんの思考回路、オニーサンにはよくわからないわ……」
「えーーー!」
「拝み屋の仕事を続けるのは、まぁ、反対したって嬢ちゃんは聞かねぇのはわかるけど。ナル坊んところにいりゃあいいじゃねぇか。別にあいつも特に反対とかするとは思わねぇけど?」
「んー…………」
なんか、なんとなく、腑に落ちない。
「それとも、オニーサンのところにくるかい?」
「それもなんだか……」
結局は同情の上のような、気がする。
とか思ってたその時、
「オリヴァー・デイヴィス!」
なめらかな英語。でもおっかない金切り声。いきなり開けられた扉に、私は首をすくめて飛び上がった。
その名前は我がSPRの所長であらせられるナルの本名なんだけども、それを知っている人は少ない。ということは、本家SPRの関係者なのかにゃー? と勝手に推測してみた。
「あ、あのぅー……」
おそるおそる声をかけてみた。
「所長に、ご用ですか……?」
引きつる顔を抑えながら営業スマイルを浮かべる。
「そうよ。あなた、所員? それともバイト?」
「ば……バイト兼所員というか……」
たじたじ……顔が恐いし声が高いし……なんだこのヒステリーおばさん……。
見た目は三十過ぎあたり、縦巻きカールのブロンド、高級そうなパンツスーツ……こりゃ綾子より数段レベルが上だ。おっと、忘れちゃならない首元のゴールデンチェーン。
「そう。それなら今すぐ所長を呼んで頂戴。オリヴァー・デイヴィス本人をね!」
「聞こえてます、騒々しい」
おや。がちゃりと天の岩戸を開けて出て来たのはナル。うーわー……顔がすっげ不機嫌なんですが。
『今更何の用ですか、ミズウェンリィ』
ううえぇぇ、英語だ英語ー……。
『用も何もあります、ミスターデイヴィス! 学長の式に欠席するなんてどういうこと?! あれだけあなたがお世話になった恩人でしょう?!』
……英語になってもきりきり舞い。
ぼーさんにちらりと目線を投げかけると、「俺もわからん」とふるふる首を振られる。
『仕事があったんです。都合がつかなかったんです。きちんと電報は送らせて頂きました。何がいけないんですか?』
『噂が絶えないわよ、あなた。本当にやめるつもりなの?』
『そのことについてはそのうち正式に決定します。まだ時間はあるはずでしょう』
『学長の後継は気が気じゃないわよ。あなたが狙って来ると思って浮き足だってるわ』
『そんな馬鹿げた喜劇に付き合う気は毛頭ないと言ったはずです』
ぅぅぅう……なんか……シュラ場? 二人とも斜に構えて睨合ったまま今度は沈黙……コワ。
「ミズウェンリ、今日のところはお帰り下さい」
おお、リンさん!! 救世主! 資料室から出て来たリンさんは、そのまま玄関の扉を開いて女の人にそう告げた。
「ミスターリン、あなたもいつまでこの小悪魔についているつもり? 研究所ではあなたを手招きするのに大忙しよ?」
「私は私の意思でこの場にいるのです。仕事の邪魔になります、お帰り下さい」
ナルはその様子を黙って見ている。
「……わかったわ。今日のところは帰るけど、しばらく私は日本にいます。またくるわ。その時にはきちんとした返事を聞かせて頂戴」
バタンッ!!
畳み掛ける様に扉が閉じられ、女性は帰って行った。
「馬鹿馬鹿しい」
そうナルは吐き捨てて、所長室に戻って行く。
リンさんも深い深いため息をついて、目頭を抑えていた。
「あの……今の人は……?」
「英国SPRの職員でウェンリです。どちらかといえば理事方面に勤めているのですが……」
「ナルのこと、オリヴァーって呼んでたから……何かトラブル? またイギリスに行かなきゃいけないの?」
「いいえ、そういう訳ではないですよ」
ほんの少しだけ表情をやわらげて、リンさんはそう私に言ってくれた。うーにゅ……。
「ただちょっとSPRと縁のある大学で一悶着があって、それで来たようですね」
「ナル……なんかとんでもないことやらかしちゃった、とか?」
「でもこの道玄坂にあるSPRだって本家大本の支援がなきゃやってけないんだろ? そういう態度をとるってことはナルちゃんにとってもマイナスだろうに」
ぼーさんの言う通り。必要なところにはちゃんと猫を被っているあのおナルが、そんなに甘い判断ミスをする訳がないと……思っちゃうんだよな、これがまた……下手に優秀なんだから、ナルってば。
「ええ、その通りです。だからナルも短気を起こさなければいいんですが……。
ともあれ、谷山さん、今後あの女性が来た場合はナルに通す前に私を呼んで下さい」
「あっ、はいっ、わかりました!」
「お願いします」
最初はお互い口を聞くこともなかったけど……最近、リンさんと実はちょっとだけ仲良しなのだ。こうやって微笑み合えるくらい。
「仲良しだねえ、君ら。お兄さんは淋しいわ」
「仲間に入ればいいじゃないのさ、ぼーさん」
「俺にSPRに入れってか? ジョーダン! 俺はナル坊の部下なんかやってけないね」
「あはは、確かにそうかもねー」
私達が笑い合うと、リンさんも少しだけ笑みを浮かべてくれた。すっごく貴重で、すっごく綺麗なのだ、これがまた!
続き
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