●依頼●
それからあのウェンリさんが来ることはなくて……穏やかな日々が続いた。ある意味それってば暇で、私はちょうどその依頼人が来た時、宿題を広げながら時間を潰していた。
「あの……ここはいわゆる幽霊とか……そういうことを解決してくれるところ、なんでしょうか……?」
おずおずと依頼人は開口一番私にそう尋ねた。依頼人は見た目は普通の主婦だ。長そでのブラウスに綿パン。どこかやつれた様子もあるけど、化粧は派手じゃないし、服装も地味だ。長い髪はとりあえず、っていう形で途中でしばってあるだけで、アクセサリーとかもしていない。
多分、すごく困ってるんだろう……それに、気が弱そうだからたくさん恐い思いとかもしてるのかもしれない。……まあ、そもそもこういう風に切羽詰まらなければこんな怪しげな事務所になんて来ないだろうけど。
そういう時、私は決まってナルから倣い応える。
「ここはですね、そのおかしなところをちゃんと調査して、幽霊の仕業か人間の仕業か、きちんと調べるところなんです。だから、まずは困ってることとかおかしなところとか、お話をしてもらえませんか? 申し訳ないですけどうちの所長は大変気分屋なので、その内容によっては依頼を受けない場合もあるので」
「そう……ですか……。
その、もし……幽霊の仕業だった場合、退治とか……お払いとかはしてもらえるんですか?」
「ええ。その道のプロの手を借りることはできます」
自信たっぷり、私は応えることができる。いざとなったらナルはぼーさん達を呼ぶことにしているのだ。その腕は私だって太鼓判を押す。
「どうぞ、座ってお話を聞かせて下さい」
私がそう促すと、所長室からナルが出て来た。
おお、自発的においでますとは珍しい……。
「所長の渋谷一也です。とにかくまずはどんな事が起きているのか聞かせて下さい」
仏頂面は相変わらずだけどな!
「……わかりました……」
向い合せにソファに座ると、うつむきながらポツリポツリと話し始めた。
総合的にあわせるとこうだ。
彼女の名前は来鈴美智子(きすず みちこ)さん。年は三十三で、旦那さんと幼い子供二人とマンションで四人暮しをしている。そのマンションというのが下の子が産まれる直前、つまり五年前に購入したもの。2LDKで立地条件は駅から遠いなど悪いが、値段と大きさに心惹かれたんだとか。
ともかく、そのマンションに住んで五年。それまで何の問題もなかったのが、いきなり三か月ほど前から妙なことが起こり始めた。来鈴さんの部屋は最上階で屋上は入れないことになっているはずなのに、上から物音や足音が響く。隣から聞こえてきたのを勘違いしたんだと思っていたが、それがどんどん頻繁に鳴り響くようになるし、時にはご近所がいない時にも聞こえるんだとか。
次に二か月ほど前から部屋の物がいきなりなくなったりし始めた。なくなった、といっても数日ほどで全く関係のない場所からひょっこり見つかったりする。最初は子供がいたずらして隠したのかと思っていたが、幼い子供の手の届かない所で見つかることもあった。
普段は仕事で外出している旦那さんに相談しても「考え過ぎ」と言われ、様子を見ていたが……つい五日前、耐えきれなくなったんだという。
「それは、何かもっと大切なものが隠されたとか?」
私が訊ねると、来鈴さんはハンカチを取り出して額の汗を拭いながら少し屈んだ。
「ええ。……末の子、健太というんですが……その子が五日前、ほんの少し目を離した隙にいなくなったんです」
「それは家の中でですか?」
「台所で昼食を作っていたんです。私の隣でおとなしく遊んでいたはずなのに、ふと気が付くといなくなっていて……玄関に鍵を占めてましたし、健太はまだ小さくてドアノブまで手が届くか届かないか……鍵の外し方なんてもちろん知らないはずなんです。
慌てて家中捜しました。お風呂場とか押し入れとか……でもどうしても見つからなくて、外にも捜しに行ったんです。夫や警察にも相談しました。けど、次の日ただいま、って……あの子、何事もなかったように帰って来たんです」
「ええと、健太くん、ですよね。誰かに誘拐されたとか……」
「私もそう思って健太に問いただしたんです。どこにいたのか、って……そしたら健太は『ずっとママと一緒にいたよ。おひるまだ?』って……まるでいなくなった時から、全く時間が経過してないみたいに……」
「傷跡とか……どこか変わったところは?」
ふるふると来鈴さんは青ざめた顔を横に振った。
「特に目立った外傷はありませんでした。お腹は減ってたみたいですけど……元気でしたし、それからふさぎ込んだりということはありませんでした。まだ五歳ですし、本当は何があったか恐くて思い出せないだけかもしれませんけど……」
そこで一旦、来鈴さんは言葉を切った。
ありゃりゃ……? なんかまだ、隠してることがあるみたい?
「何か他に心配なことが?」
「……はぁ……あの……帰って来てから、健太が時折妙なことを言い出すんです」
「それはどんな?」
「あの、例の足音が聞こえる度に……『ぼくも遊びにいきたいな』と……前までは、あの子も何となく恐がってる風で、話をすることなんてなかったんですけど……」
「うーん……」
それはささいなことかもしれない。小さ子っていうのはいろんなものに対して敏感で、順応力を持っている。ひょっとしたら連れ去られていた間に何かあって、『本来あるはずのない足音』を『遊んでる』っていう風に捕らえるようになっただけかもしれないし。
どうやらおかしなことは以上のようで、来鈴さんは話終えた満足感からか少し落ち着いたみたいだった。
ひとつ、最上階のマンションで屋上が解放されていないにも関わらず足音がする。
ひとつ、家の中のモノがいきなりなくなったり見つかったりする。
ひとつ、健太くんが行方不明になったが、翌日家に戻って来る。
……どれもこれも人間ができることではある。特に健太くんが行方不明になったところなんか誘拐の可能性もあるし、現に警察だって動いた訳だし……うーん……。
ちらり、と隣に座ったナルを見れば、やっぱり不機嫌そうな顔をしている。とーぜん、ナルとしては断るんじゃないのかなぁ、この依頼……。
「一つ質問をさせてください。健太くんが帰って来た時、どうやって帰って来たか憶えていますか?」
「え……?」
ナルの意外な質問に、来鈴さんは驚いて顔をあげた。
「健太くんは幼くドアノブにも手が届くか届かないかぐらいだとおっしゃいましたね。帰って来た時、玄関に鍵は?」
「……かかっていたと思います……まだ明け方だったので……」
「明け方?」
「ええ。朝の五時くらいだったと……思います。まだ私も主人も寝ていたのです。いきなり『まま』と呼ばれて起きてみると、健太が私を起こしていて……」
「すると健太くんが『家』に帰って来た瞬間を、誰も見ていない?」
「…………そうだと、思います。主人も上の子もまだ寝ていましたから」
「そのことを警察は?」
「何も……とにかく無事に帰って来てくれて……私達はそれだけで喜んでましたから……」
「しかしここに来たということは、少なくともあなた自身はまだ安堵しきっていない」
「…………」
冷たい。
あーあーー、相変わらずナルは冷たい。そりゃ、多分意図的に冷たくしてるんじゃなくて……いや、どうなんだろう、それは……自覚があった方がいいのか、なかった方がいいのか……うーん。
とにかく、来鈴さんは増々顔をうつむかせてしまった。
「下の子は無事に帰ってきましたけど……また同じようなことが起こっては……」
「『家からなくなるモノ』には人間も含まれる、そう思った」
「はい……」
「警察ではなくここに来たのは、それが『人間の仕業ではない』と思ったからですね? その理由を教えて下さい」
「……………………」
少しだけ口をつぐみ、来鈴はようやく決心したようにハンカチを強く強く握りしめながら顔をあげた。
「正直申しますと、ここに来たのは……その……電話がありまして」
「電話?」
「ええ。多分、外人の方だと思うんですが……女性の方で、どこで聞き付けたのか『おかしなことがあったら道玄坂にあるSPRという事務所を尋ねてみなさい』と……気味が悪かったですけど……ちょうど健太が帰って来て一息ついて、また……少し恐くなっていて、何でもいいから助けて欲しくて……」
そのまま来鈴さんは泣き崩れてしまった。
あ――あ―――……いーけないんだ、いけないんだ。まったく、ナルがいじわるばっかりするから! ぎっと睨み付けるとナルも多少はバツが悪いのかそっぽ向いた。
「お気持ちは察します。大丈夫、私達がちゃんとその謎を解明しますから!」
身を乗り出して私は来鈴さんを支えながら言っちゃた。もう言っちゃったもんね! こんな気弱な来鈴さんを「お話は聞きましたからお帰り下さい」、なんてナルにさせないんだから! 少しは慈しみってもんを知りやがれ! へっへーんだ。
「本当に……本当に調査してくれるんですか?」
来鈴さんがすがるように訊ねると、ナルは一度だけ私を睨んだ。べーっだ。こういうもんは言っちゃったもん勝ちなのだ。
「……承ります。とりあえず、今日は必要書類のご記入をお願いします。……麻衣」
「はい、所長っ」
実はちゃっかりすでに用意してたり。来鈴さんのお話もメモにまとめてたり。
もちろん、ナルはいやそーな顔をしていた。
続き
|