●本当の話●
「あなたが『何かがおかしい』と感じ始めたのは三か月前。しかしそれは段々とエスカレートしてくるものであったから、実際、『異常な現象』が起こり始めたのは一体いつからなのかははっきりしません。そこでこの辺り一帯で調べさせていただきました」
それを調べて来たのは安原さんだけどねっ。
まぁ当然のようにナルはそんな部分は省くけど。
ちゃぶ台に向い合せに座ったのはナルと美智子さん。私達は外野だ。
「……何か、ありましたでしょうか……?」
なんだか、美智子さんの顔が急に険しくなったような……気がする。
ナルは淡々と続ける。
「今から約五か月前、ここから一番近い指定救急病院に一人の女性患者が運ばれました。
原因は自殺未遂です」
「……自殺……?!」
私は慌てて安原さんのノートをめくって……そして、リストの中で赤線が引かれたところを見る。
『女性、三十三歳。自殺未遂で運ばれる。左手首を刃物で切っていたが、幸いにも発見が早く助かる』
「あなたですね、来鈴美智子さん」
ナルの言葉に、慌てて美智子さんは左手首を袖の上から掴んだ。
そういえば、美智子さんは最初からずっと長そでを着ていた。
「………………」
「この時の発見者はこの女性の夫となっています。けれども本当に最初発見したのは子供達だった。
子供達は訳がわからず、夫が帰って来るまでなすすべがなかった」
「………………」
ふるふる、と美智子さんは声も出さずに横に頭を振った。
「弟の方は無理でも兄の年齢なら憶えているはずでしょう。話を聞いてもいいんですが?」
「やっ、やめてください、それは! あの子はやっと、やっと忘れてくれたんです!!」
……この、鬼っ! 美智子さんはすっかり怯えて中腰になって叫んだ。
「蒸し返さないで下さい! やめてください! そんなこと、一体何が関係あるんですか!?」
「では認めるんですね、これがあなただと」
かっちん。
もうあったまきた!
「ちょっとナル! そんな言い方することないでしょ!? 美智子さんだって好きで自殺しようとした訳ないじゃない!
思いっきりテーブルを叩いて、私はナルを睨み付ける。
「黙れ」
……この期におよんで、この所長は……!
「変だよナル! なんでそんな冷たいこと言うの!? 美智子さんが自殺未遂したからって、ナルに今更責められることないじゃない!」
「それが起因だと言ったら?」
「…………え?」
真っ向から、今度は逆に睨み付けられた。
「母親の自殺未遂、それを黙って見ているしかなかった兄弟。数日ぶりに帰って来た父親は慌てて救急車を呼び、それから行方をくらました。後に送られてくるのは養育費。本人は戻って来ない。
この一連の目まぐるしい環境の変化は五か月前。小さな力が育つのに二か月」
なに、それ……。
「どういう……ことですか……」
美智子さんも震えた声をあげる。
私も、みんなも、目が点になる。
だって、それじゃまるで……
「まぁま、なんで泣いてるの?」
……一樹くんと、
「まぁま、お腹へった」
健太くん、が…………!?
「あなたたち……いつの間に帰って来たの、学校はどうしたの!?」
美智子さんの両脇に立っていたのは、健太くんと一樹くん。
私は……私はずっと隣にいたのに、全く気がつかなかった。
だって……さっき美智子さんが帰って来た時、私はドアを閉めて、内側から鍵をかけたのに。
「だってままが泣いてるんだもん」
「ないてるんだもん」
ぞくり、と背筋が凍った。
この子達は本当に美智子さんを心配していて……心配する、ってことは暖かい気持ちのはずなのに。
どうして、こんなに恐くなるの……どうしてこんなに不安に感じるの!?
「まま、またどこかに行ったりしないで」
「ままが泣くと、ぼくたち置いていっちゃうの?」
バタバタタバタッ!
「あし、音……」
天井からだけじゃない。
四方八方……壁からも、玄関からも、奥の部屋からも、キッチンからも、床からだって……!
「なんてこと……!」
真砂子が小さく悲鳴をあげて、口を覆う。
ぼーさんと綾子は私達を護る様に周りに立ち、小さく何かを唱えはじめる。
「小さな子供達が……たくさんの子供達がやってきます。どんどん集まって来て、もう固まり合って重なり合って、融合していきます……願いはひとつだから……っ!」
泣き崩れた真砂子をジョンが慌てて抱きとめる。
慌てて立ち上がった私の頬にも、何かが触れては通り過ぎる。
不思議と恐くはない……でも、悲しい感じがする。
「あなたは、本当にわからなかったんですか……?」
ゆっくりと立ち上がり、ナルは美智子さんを見下した。
「毎日毎日顔を合わせ、言葉を交わし、生活を共にし……あなたは母親だ。人の子の親だ。
わからなかったはずが、ないっ!!」
バチンッ!!
……目を、疑ってしまった。
美智子さんは衝撃で倒れ、健太くんと一樹くんが慌てて駆け寄って起こした。
……ナルが、本気で怒って……美智子さんを殴った。もちろん、パーでだったけど……。
「置いていくぐらいなら連れて行ってほしかった!」
胸が切り裂かれる。
痛くて痛くてたまらない。
なんで、ナルが殴られた美智子さんよりも痛そうな顔をするの?
「この子達は、親に自殺されて……無念のうちに別の場所で死んでしまった子供達の霊ですわ」
真砂子が言う。
「お母さんに会いたくてたまらない……どうして自分を置いて死んでしまったのか、どうして自分と一緒に死んでくれなかったのか、死んでもなお……お母さんを求めて捜して迷い続けているの……。健太くんと一樹くんに呼ばれて、集められた子達」
そ、んな…………だから……だからイツキって……『一樹』は『イツキ』とも読めるから……自分達だってことをわかってほしくて。シンクロする、あの時みた夢は……あの時感じた想いは、この子達のものだったんだ……。ジーンがあの子達の兄弟で、ナルが……お母さんの役で。
でも……だって……だって……!
「未遂とはいえ目の前で自分を置いていかれかけたんだ。実際、父親はそれ以来戻って来なかった。いつまた捨てられるかわからない」
ぼーさんが言う。
「二人はずっと怯えていた。ずっと隠していた。ずっと我慢していたんだ。
どうしてそれに気づかない! あなたは母親なのに」
毒の針のようなナルの言葉に、美智子さんはうなだれて、小さく嗚咽を漏らしながら言葉を紡いだ。
「夫が段々家に帰って来なくなって……他に愛人ができたって知って……私、どうしようもなく寂しくなってしまって……子供達の顔を見る度、あの人を思い出して……つらくてつらくて、もう生きていることに耐えられなくなって……!」
「でもあなたは死ねなかった」
冷たくナルがはねのける。
「夫が助けてくれたんです。最後に帰って来たあの夜、私を見つけて救急車を呼んでくれたんです。
本当に私を愛していないのなら、あのまま死なせたはずでしょう!?
私は信じているんです、今なら信じられるんです。
いつか、いつか絶対に夫は帰ってきます。そうでなければ私を助けなかったはずでしょう!? きっと何か事情があって、今は一時的に帰れなくなってるだけなんです。きっと、いつか、必ず私の元に帰ってきます!!」
「………………」
もう誰も、何も言わなかった。
むせび泣く声が居間に響き、健太くんと一樹くんがだいじょうぶ? と必死に慰める。
『足音』はずっと聞こえていて、その音は段々と小さくなっているけれど。
この部屋には寂しい気持ちが溢れている。
お母さんを求める寂しさでいっぱいだ。
ああ、だから……
「だから、見つけて欲しかったんだよ」
私は、ようやくわかった。
「見つけて欲しくて、お母さんのものを隠してたんだね」
ハンドバッグ、指輪、何でもよかったんだ。
お母さんの物を隠して、でも見つけて欲しくて。
隠して、見つけて、隠して、見つけて。
だから、いつかは――――自分達を見つけてほしくて。
肯定。
私の周りで、少しだけ暖かい風が吹く。
この霊たちは、イツキくんだ。一樹くんであり、健太くんでもある。
二人をいろいろと手助けしてあげたんだ――鍵をあけたり、届かない場所に連れて行ってあげたり。
「ブラウンさん、頼みます。
原さん、浄霊を」
ジョンは慌てて健太くんと一樹くんの手を引いて、聖書と聖水を手にした。
二人には、きっと寂しい子供達の霊がついていたんだ。
真砂子が穏やかに子供達の霊に話しかける。
「あなたたちのお母さんは、この人ではないの。
この人は、あの二人だけのお母さんなの……」
涙が、溢れる。
真砂子も泣いている。
だって、こんな……こんなの悲しくて。
美智子さんは、これからどうすればいいんだろう。彼女はずっと信じて待つ。健太くんも一樹くんも必死でしがみついているのに、二人のことなんかそっちのけで帰らない旦那さんを待ち続けるだろう。
それは、霊の仕業なんかじゃない。
人間の身勝手な事情だ。
「連れて逝けば良かったんだ」
――――自分を傷つける言葉で呪わないで。
「ひとりぼっちになるくらいなら、連れて逝ってほしかった……!」
握りしめたナルの拳が、小刻みに震える。
護りたくて、私はその拳を両手で包んだ。
「……私は……私は、その気持ちがわかる。
お父さんもお母さんも死んじゃって……ひとりぼっちになっちゃって、なんで一緒に連れて逝ってくれなかったんだろう、って……泣いたこともある。
でも……でも、今はそう思いたくない。
今はそんなこと思いたくないよ……。
高校に入ってたくさん友達ができて、SPRにも入って、ぼーさんにも綾子にもジョンにも安原さんにもリンさんにもナルにも、たくさんの人に会って、優しくしてもらって……
今は、ひとりじゃないから――――!」
ううん、絶対にひとりにしない。
ジーンが叶えたかった願いを、私が代わりに叶える。
ナルをひとりになんかしない。
いじわるで正確が悪くてこっちのプライドが傷つくぐらい優秀で、でもどこか不器用なんだから。
手を離せる訳がなかったんだ――最初から。
続き
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