●色々な準備●
「いつまで惰眠をむさぼっているんだ?」
んげげ。
脳天一発、この皮肉。
……本物のナルちゃん御登場です。
「駄目ですよ所長。乙女の寝起きは機嫌が悪いんですから」
このフォローにもなっていないフォローは……
「安原さん!?」
「はいっ、お久しぶりです谷山さん」
ああああ、朝から爽やかな笑顔をありがとう安原さん……でもあいにくと隣の鬼のような所長がその雰囲気を台無しにしてくれてるよ……トホホ。
「お帰りナルちゃんよ。昨日の夜にも何度か足音はあったけど、テープ巻き戻してみるか?」
げげ。あったの?
……全然気づかなかったよ、私。……ひょっとして、お鈍さん?
「いや……それは後で良い。それよりも安原さん、調べものは済んでますか?」
「はいっ。いやぁー、今回はほとほと骨が折れましたよ」
はっはっは、ってそんなに軽やかに言われてもあんまり苦労がにじみでてない。
ま、そういうとこが安原さんの良い所でもあるんだけどね。
ってゆっかどうやら安原さんは朝一番にこちらにお邪魔していて、ついさっきナルが帰って来たところらしい。
……うわわわ、今九時? 寝坊しちゃった……。
「あれ、美智子さんは?」
「今日から学校へ行かせるそうですよ。健太くんを送りに行ってくるそうです」
ほうほう……って、すっかり安原さんこっちの事情は知ってるみたいだな。
「安原少年や、調べものってのは?」
「はいはい、それじゃ順を追って説明しますね。
渋谷さんに頼まれて聞き込みにしてたんです。このマンションの全室」
「全室ゥ!? そりゃまた……骨の折れる仕事だな」
「ええ、ほんとに。なるべく穏便に、ってことでしたんで表立って聞き込みにいくのはまずいですしね。そこでワタクシ、ちゃーんとバレないように手を打ちました。不動産屋で物件紹介の電話のバイトをしている友人を捕まえて、このマンションに住んでいる全員に電話をかけて今の部屋に不満はないか聞いてもらったんです」
「おおーー」
ぱちぱちぱちぱち。そりゃバイト君の仕事にもなるし手慣れてるし、何より全くの嘘じゃないから聞き込みだとばれにくい。
さすが安原さん!
「それでですね、最初僕は先入観を避ける為に来鈴さんのお宅が何号室か聞かなかったので、とりあえず不満点を述べたリストを作りました。それがこれです」
マンションには全部で三十の部屋がある。空室はないので、安原さんが畳に置いたリストは三十番全部埋まっている。
「特に不満が多かったのはやはり広さですね。後から生まれて来たお子さんがいると手狭だとか子供が大きくなると自分の部屋がほしいと言い出す、とかですね。その次に年老いた両親のためにエレベーターがあるマンションに引っ越したいとか。ここの建物、不動産屋さんに聞いてみたところ値段が手ごろなのは古いからなんだそうで。外観が少し汚れてるというのもありましたし」
と、リストの途中で赤線が引かれている部分を指す。
「渋谷さんから指定のあった防音に関する不満は確かにいくつかありました。でもそのほとんどは上の階に小さなお子さんが住んでいるからしょうがない、といった感じですね。その言い訳が通じないのと、応対が少し不自然だったのは……」
す、と人さし指が止まる。
「503号室。つまり、この来鈴さんのお宅です。左右上下にも小さなお子さんは住んでませんし、どこか態度が不自然でした。ちなみに、この電話をかけた僕の友人はもちろん来鈴さんのことは知らないです」
「ってことは……あくまでも『足音』に関して言えば被害にあっているのは来鈴さんだけ、と」
ふむふむ、とぼーさんもうなずく。
確かにあの大きな足音は隣の部屋に聞こえていてもおかしくないと思うけど……502にも504にも防音に関する不満は書かれていない。ってことは……まず誰かのいたずら、って線が薄くなる。
「次に調べてきたのはですね、歴代この部屋を借りて来た人たちなんですが……」
「おおおい、ンなことまで調べて来たのか?!」
「ええ、ええ。不動産屋のおばあちゃんと茶飲み話をすること三時間です。お年寄りの話は為になりますよ……」
でもどっかゲンナリしてるぞ、安原サン。
「ともかく書類もその時に見せたもらったんで、一応コピーはとれなかったんですけど書き写したものがこれです。
大体一家四人、もしくは三人ですね。両親とお子さんってパターンが多いです。それぞれ何年か住んでお金を貯めて、マイホームを手に入れて出て行ったのがほとんどだそうです。後は転勤とかですけど、引越し理由に不自然な点は見られません。特に短期間で出て行った一家もいませんし」
そのルーズリーフの束を安原さんはナルに手渡した。
神妙な顔をしてナルは一枚一枚そのノートをめくっていく。
「このマンション自体が立てられたのは昭和六十年ですね。東京都建築安全条例第78条が改正される前の話ですからエレベーターがない訳です」
「……とうきょうけんちくあんぜんじょーれー?」
なんのこっちゃ。
おうむ返しにつぶやくと、安原さんはあは、と苦笑した。
「ようするに東京都内で定めた建築にあたって安全のために必要最低限の基準を明記した法律です。
このマンションの場合、五階建てなのにエレベーターがないでしょう? 平成五年に改正された法案だと、五階以上のマンションにはエレベーターが設置されなくてはいけないんです」
「へええ……」
そういえば最近のマンションにはどこもエレベーターがついてるような……。
「とにかく歴代の住居者に不審な点は見られないってことは、問題はやっぱりこの部屋じゃなくて来鈴さん一家にある、ってことか……?」
ぼーさんがそう言うと、ナルは即座に首を振った。
「そうとも限らない。この部屋に何か問題が起きたのが来鈴さん一家が引越してきてからなのかもしれない」
「まぁ……確かに。異変に気づいたのが三か月前で段々酷くなってきてるんなら、もっと前から細々とした異常が起きてたのかもしれないしな」
「その通りです。で、今度はこっちが役に立つ訳ですね」
「……まだあんのか……さすがは名探偵安原少年!」
「褒めて下さい、もー存分に。僕だって今回はタイムリミットつきで言い渡されたんですからきつかったんですよ?」
……タイムリミット??
ふ、とナルを見る。でもナルはずっとメモに視線を向けてて私になんか気にもとめない。
……なんかムカつく。
「これがここ一年以内に起きたこの辺りの事件です。特に交通事故なんかが多いですけど、この辺は住宅街なんで後はひったくりとかですね。あとはコンビニ強盗が一件。御悔やみ欄に出ていた死亡者も一応チェックして書き込んであります。
で、それだけじゃまだ足りないかな、と思って一応ここから一番近い指定救急病院にも行ってきました」
「……お前、どうやって夜中に潜り込んだんだ?」
「やだなー、昨日の夕方連絡もらって不動産屋に行ってからすぐ病院に行って来たんですよ。電話は友人に任せて後は図書館に閉館ぎりぎりまでいて、その次は家でネット検索です。偉いでしょう!」
「有能万歳。拍手送っちゃう」
「あとで花束もお願いします」
ほんとに。ぼーさんのコメントに安原さんも報われたみたいで満面の笑みを浮かべた。
「ええと、それでですね。いきなりお医者さんに話を聞く訳にもいかなかったんで、毎日暇つぶしに訪問しているというおじいさんに話を聞くことができました。あとは新人看護婦さん数名。一応ここ一年間で不審に思った急患をそれぞれ二十人ほど教えてもらいました。それがこれです」
三枚ルーズリーフを隣り合わせに並べて、安原さんはその中でも同じ色の線が引かれている部分を指した。
「同じ色で下線をしてあるのが同じ急患です。名前はちょっと教えてもらえなかったんですが、年齢と性別と症状からして同一人物だと考えていいと思います。ひき逃げ事件の被害者とか傷害事件の被害者とか、やっぱり事件性があるものに関して強い印象が残ってるみたいですね」
「……ひき逃げ……」
事故なのか故意なのかわからないけど……ひき逃げされた方はたまったもんじゃないよね……。
可哀想……。
「これで全部です。お気に召すものはありました?」
そう安原さんが問い、ナルはルーズリーフに万遍なく目を通すとゆっくりとうなずいた。
「十分です」
「あー、よかった!」
「お疲れ様!」
私が肩を叩くと、安原さんは照れくさく笑った。
「んでナル坊よ、これで事件の解明はできたのか?」
「大筋は」
「大筋って……」
と、ぼーさんが反撃に出ようとした時、ピンポーン、と呼び鈴が鳴った。
「……どうしよ……美智子さんいないし……」
「麻衣、出てくれ。多分原さんだ」
……ぬぁに!?
真砂子!?
ってーかいつの間にあーた真砂子を呼んだんじゃい!
「あら、ごきげんよう麻衣」
そして玄関のドアを開ければやっぱり着物姿の真砂子。
「ゴキゲンヨウ、真砂子。こんな朝っぱらからどうしたの?」
「あら、もう十時過ぎですわ。今日はナルに呼ばれて参りましたの」
「…………どーぞ、おあがり下さい!」
ったく! ニコニコと勝ち誇った真砂子がまた気に食わない。
わかってるけど……これは仕事なんだってわかってるけど!
奥のベースに連れて行くと、即座に真砂子はナルに駆け寄った。
「ごきげんよう、ナル。私に何か手伝えることがあるかしら?」
「その為に呼んだんです。今この部屋に何か感じませんか?」
……まーたコイツも色気も何もなしに答えるよ。ま、まぁそれを望んだところもあったけどさ、確かに私にも。
真砂子は少し落胆したみたいだったけど、すぐにまじめな顔になって辺りを見回した。
「特に目立った霊は見当たりません。ここに来る途中、何回か浮遊霊にはお会いしましたけど……」
「漠然とした雰囲気みたいなものでも構いません。この部屋と外と、何か違いを感じませんか」
「そう言われましても……」
うーん……でも今『足音』が鳴ってる訳じゃないし、『奇妙な失せモノ』に関してはまだ人間のいたずらって可能性もあるし。
ぼーさんも渋い顔で真砂子を見ている。
「……強いて言わせて頂ければ、この部屋に入った瞬間物悲しい気持ちになりましたわ」
「物悲しい……?」
「本来いるべき住人が不在なせいかもしれませんわ。ただ麻衣に出迎えて頂いた時も、麻衣は本来この家の住人ではないので……そうですね、どこかぽっかりと誰もいない廃墟に立たされているような、そんな感覚を憶えましたわ」
「真砂子ちゃんよー、それって霊視とは言わないんじゃ……」
「私はナルの質問に答えたまでですわ」
ぼーさんの茶々にも真砂子はキパッと返した。
やーい、ぼーさん負けてやんの! 大人げないツッコミをするからじゃい。
「あのー、ごめんなすって!」
……玄関から届くこの妙な日本語……。
慌てて玄関を開けると、そこにはやっぱりジョンがいた。
「お久しぶりです谷山さん。渋谷さんから連絡をもろうて来たんですけど」
「ナルが?」
真砂子だけじゃなくてジョンまで呼ぶってことは……いよいよ除霊ってことかな?
「ま、とにかくあがってあがって。人んちだけど」
「おおきに。お邪魔します」
相変わらずジョンは礼儀正しい。そして久々に癒される笑顔というものを私は見た。
ともあれベースにつくとナルは今までの事件を一通り聞かせ、ジョンは真摯な趣でそれを聞いていた。
「ブラウンさんには、万が一子供に霊が憑いていた場合落としてもらいたい」
「わかりました」
んむぅ……なんかオールスターって感じ。
これでもう一人くれば……
「ちょっとぉ、鍵開いてるわよ? 物騒にもほどがあるわ!」
……来たよ。
オールキャストだよ。
「呼び出したんならちゃんと出迎えてよねっ」
と言ってベースにずかずかと入り込んで来たのは巫女の綾子。
……わぁ、一気に狭いベースに人口密度がアップしたよぉ……。
「無駄口を叩いている暇はありません。松崎さん、ぼーさんとタッグを組んで結界をはって下さい」
「ちょっと、事情くらい説明してもいいんじゃない?」
「……麻衣」
へいへい、どうせジョンに一度説明したから二度手間になるのが嫌なだけでしょ。全く!
ということで私はかいつまんで綾子に事のあらましを説明した。
「で、なに。これから除霊でもしようって訳?」
「そうみたい。でも私には全然何が事の真相なんだかわかんないけどね」
ナルってばまだ秘密主義者で……肝心なところは最後まで教えてくれない。
……あーやだやだ、嫌なこと思い出しちゃった。あのこっ恥ずかしい夢!
「とりあえずこの部屋全体を覆うくらいで構わない。ただし強度はある程度なければ困る。入って来た霊を逃がさないようにしてほしい」
「はいはい、わかったわよ。ほら生臭ボーズ、付き合いなさい」
「へいへい」
元々用意していたのかぼーさんも綾子も懐から何やらお札を取り出して部屋中の壁に等間隔にはり始めた。
……ところで神仏まぜてもいいんかい。そういや前に喧嘩するから同じ部屋に置いちゃ駄目とか聞いた事あるけど……ようは力の均衡と拮抗の問題だ、なんてナルが言ってたっけかな……。そんなこと言ったらジョンはキリスト教だし。
がちゃん、と重いドアが開く音が玄関から響いた。
ぱたぱたと私が駆け付けると、帰って来たのは美智子さんだった。
「おかえりなさい、美智子さん」
「ただいま帰りました。……随分と靴の数が増えてますけど……」
「ええ、そうなんです、すいません。なんだか大所帯になっちゃて……」
「ほんとに狭い部屋ですいません。今お茶をお出ししますね」
「あ、いえいえ……そんな構わずに」
ホントに。図々しくお仕掛けてるのはこっちなんだし。
……そもそも昨夜、ぼーさんが言ってたように何で最初からぼーさんだけは呼ばれてたのか……ちょっと気になる、と言えば気になるかなぁ。
ベースに美智子さんを連れて行くと、綾子達が順々に挨拶をする。それから、
「美智子さん、事の真相を今からお話したいと思います」
唐突に、ナルは言い放った。
……おい、待て。私も全然事の真相を聞いちゃいないぞ、全く……。
続き
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